それは、大変疑わしい。

 こういうご時勢だから、世を挙げて最適化、効率化に走る。特に企業は奔る。私の職場にもそういう最適化のためのソフトウェアの類の技術文書がわんさと来ている。

 でもねえ、最適化とは、常に「与えられた状況への最適化」だからね。

 行動を、ある現前の状況に最適化するために持てるリソースを投入してしまえば、それは「状況への特化」ということになる。他の状況に最適化すべく投入できるリソースは、もう残されていないのが普通だからだ。
 その暁になって、状況が急激に変わったとしたらどうなる?

 おそらく生き残るのは、何にも最適化などせず、効率をそういう形では追求しなかった、versatile なタイプの企業であり、個人である可能性が高いだろう。見かけは無駄なことばっかりしているように見えて、しかしなぜかいつも生き残る奴。そういうの、あなたの回りにもいませんか?

 大体、最適化による効率の追求を語る向きはそういうアイデアを進化論からのアナロジーか、古典派経済学からのアナロジーに依拠して発想していることが多い。
 でもねえ、ある環境において非常にうまく最適化、特化して繁栄する生物は、実は絶滅する危険を一番多く抱えているのだということはわかっている。リカードー派の経済学について言えば、あれも特定の状況を前提にした話だ。

 音楽の様式も、同じようなものかもしれないね。